国民民主党の「尊厳死」法制度化方針をめぐり、1月4日に、公開質問状を、国民民主党に送付し、
1月28日に国民民主党政務調査会からの回答をいただきました。
そしてわたしたちは、この回答に対する声明を、2月22日付で発表しました。
◇国民民主党からの回答に対する意見表明
2025年2月22日
1月4日に送付した私たち7団体による国民民主党への公開質問状(『尊厳死』の法制度化を進めようとする貴党の方針についての公開質問状)に対して、1月28日付で国民民主党政務調査会から回答をいただきました。回答を頂いたことにつきましては、感謝いたします。 しかし、昨年10月12日の玉木代表の発言=「社会保障の保険料を下げるためには、われわれは高齢者医療、とくに終末期医療の見直しにも踏み込みました。尊厳死の法制化も含めて。・・・」などとの関係については、一言の説明もありません。また、「尊厳死・安楽死」を肯定する考え方は、病者・障害者・高齢者を「生産性のない社会のお荷物」と否定する優生思想そのもの、と私たちが指摘したことにも、触れられてはいません。そして、私たちが求めた話し合いの場の設定についても、回答はありませんでした。
他方、この回答を読んで、改めて、国民民主党の思考の危険性を強く感じています。この点について、以下、述べていきます。
○「人生会議」の誤解釈
回答では、
「国民民主党は2024年衆議院選挙公約において、法整備も含めた終末期医療の見直しの項目として、『人生会議の制度化を含む尊厳死の法制化によって終末期医療のあり方を見直し、本人や家族が望まない医療を抑制します』と掲げています。」
「尊厳死の法制化については自分の送ってきた長い人生の最期をどのように送るのか、究極の意思決定の支援の在り方を制度化していくという位置づけと考えています。例えば、本人が延命治療を望まないとしても、最期を迎えるにあたって本人もそれまでの意思と違う発言をするなどし、結果として延命も含め本人が望まない治療になってしまうかもしれません。そうならない為にも、いわゆるACP(アドバンス ケア プランニング)等の家族会議のような仕組みを位置づけ、尊厳死を制度化し納得のいく最期を迎えられるようにする必要があります。」
と書かれています。
これは、厚生労働省の掲げる「人生会議」の内容の誤解釈、誤認識であると考えます。
通称「人生会議」と呼ばれるものの元となったのは、2018年3月14日に厚労省が発表した、「人生の最終段階における医療の決定プロセスに関するガイドライン」の改訂版です。この改訂のポイントの説明の中で、厚労省は次のように記述しています。
「心身の状態の変化等に応じて、本人の意思は変化しうるものであり、医療・ケアの方針や、どのような生き方を望むか等を、日頃から繰り返し話し合うこと (=ACPの取組)の重要性を強調」
また、2007年に発表された厚労省の同ガイドラインについても、「医師等の医療従事者から適切な情報提供と説明がなされ、それに基づいて患者が医療従事者と話し合いを行った上で、患者本人による決定を基本とすること」と記述されています。
厚労省のガイドラインだけではありません。 2018年に東京都下の公立福生病院で透析の再開を希望した患者の意思を無視して死亡させる事件が起こりました。この裁判の和解条項(2021年)でも、「意思決定後も患者の症状変化等に応じて適宜その意思に変更がないか確認するよう努めること」などを医療機関に約束させる条項が盛り込まれました。日本透析医学会の “透析の開始と継続に関する意思決定プロセスについての提言(2020年)”も「患者・家族等との話し合いを継続し,患者が意思決定した後も,患者から意思に変化がないことを確認することが重要である」としています。
ところが、国民民主党の回答は真逆です。各種ガイドラインそして裁判が、本人の意思変更の有無を確認しつづけるよう求めているにも関わらず、国民民主党は、それを無視して、一旦延命治療を望まない意思表示をしたら、その後の変更は認めない、といった強硬なやり方を提示しているのです。
○病者の意思など「取るに足りない」と思っている
国民民主党の回答
「本人が延命治療を望まないとしても、最期を迎えるにあたって本人もそれまでの意思と違う発言をするなどし、結果として延命も含め本人が望まない治療になってしまうかもしれません。」は、つまり、重篤な患者や高齢者の意思など、「取るに足りない」、無視しても構わないということです。それ以前に示していた「尊厳死」の意思に従い「さっさと死ね」、死ぬための制度(法律)を作ろうというのでしょう。
○「生産性のない者は国家のお荷物」か!
ここで、「国民民主党 2024年重点政策」の「3. 人づくりこそ、国づくり」の中で、なぜ、「尊厳死の法制化を含めた終末期医療の見直し」が掲げられているのか、判りました。 つまり、障害や難病あるいは高齢になったら、さっさと死を選ぶことができる、「それを望む人を作ることこそ国家のため」ということなのでしょう。そうならば、それはナチスや軍国主義にも匹敵する危険な考え方ではないでしょうか。
「尊厳死・安楽死」の法制度を作り、「生産性のない者は、国家のお荷物」とする風潮が蔓延するならば、障害者も難病者も高齢者も生きていくことを否定されてしまいます。若者も、そんな社会に希望を持つことはできないでしょう。
○家族の意思による「尊厳死」も認めることになる
回答の「尊厳死の法制化によって終末期医療のあり方を見直し、本人や家族が望まない医療を抑制します」との表現については、昨年の衆議院選挙の時から批判が出されていました。「家族が邪魔だと思ったら、医療を打ち切るのか」との趣旨です。私たちの公開質問状でも、この点について触れています。
しかし、今回の回答でも、この表現をそのまま使っています。重病者などを、「国家のお荷物」と考える立場からすれば、家族の意思で死なせることは、当然と考えているのではないでしょうか。
○いのちの切り捨ては拡大する
厚労省のガイドラインは、2006年に発覚した富山県の射水市民病院での人工呼吸器の取り外し事件を受けて、合法的に医療を打ち切って死なせる方向として、厚労省が打ち出したものでした。国民民主党の回答の中にある「2005年に設立された超党派の「終末期における本人意思尊重を考える議員連盟」」は、日本尊厳死協会と組んで、「尊厳死法」の制定を目指してきた議連です。
これらの動きに対して、わたしたちは反対の意見表明と行動を行ってきました。しかし、国民民主党の方針ほど、危険な方向は、これまでにはなかったと思います。
「医療を打ち切って死なせる対象とは」という論議は、必ず「生きる価値なきいのちとは」という発想を生み出します。こうした危険な滑り坂に社会を突き落とす勢力として、国民民主党は登場しているのです。20世紀初めの優生政策と「安楽死」肯定運動が、ナチスを生み出して行ったように。また、日本の優生保護法が、遺伝性のない精神障害者への断種にまで発展し、法文上は違法な子宮や睾丸の摘出、コバルト照射まで、犯罪に問われることなく実行されたことをも、想起させます。
わたしたちは、国民民主党のいのちの切り捨てを進める政治活動を、決して容認しないことを表明します。
以上
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